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不動産業界といえば不労所得で安定しているイメージがあるものの、実際にはさまざまな試行錯誤を経て成長をつかみとる面があることは事実といえます。もちろん先祖代々の土地を守るだけで賃貸料などの利益を小幅に稼いでいる人たちもいないわけではありませんが、少なくとも大手や中堅どころの会社となれば、表面からは見えない努力や工夫をバックにかかえているものです。
たとえば今では不動産総合商社として関連分野で幅広く活動している株式会社アルテカなども、代表の野村紘一氏が築いた1970年代からの実績の積み上げが好調な業績に寄与している部分が大きいといえます。野村紘一氏といえば、超高級マンションブームの渦中の人として一時期話題になりましたが、これは1970年代に当時でも無理といわれていた一億円超えの超高級マンションを都心の一等地に開拓し、見事売り切りを達成したという実話がベースとなっています。この当時のことについては野村紘一氏も各種のインタビューでその戦略について明らかにしていますが、国土が狭い日本では土地の高度利用を進めるべきだが、まだそのようにはなっておらず、かならず勝機があるとの判断をもとに実行したということです。 1970年代ではそれほど昔のことともいえませんが、実はまだまだ高度経済成長の余波が続いていた時期であり、一戸建てからマンション暮らしへと、人々のライフスタイルが徐々に変化を見せていたころに当たります。そのためマンションとはいっても1500万円程度の3DK物件が標準のスタイルであって、その枠を超越するような物件は探しても見当たらないという状況でした。 そこへ登場したのがまったく新しい快適性や質感をもった超高級マンションであり、立地や設計その他から判断しても価格に見合った価値のある物件と衆目が一致したことが、最初の売り出しの成功と、それに続くブームへとつながる理由になったといえます。その後超高級マンション開発は同社でもシリーズ化されたことから、それが今日の発展につながるバックボーンとして生き続けていることがよくわかります。 PR |
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